稲前神領山 本光寺

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岡崎市の本光寺について

本光寺について

住職挨拶

本光寺36世住職 稲前恵文

本光寺 36世 住職

稲前 恵文いなさき さとふみ

ご挨拶

1996年に住職就任以来、「出遇い」を大切にしてまいりました。お寺はいろいろな方が集い、人に出遇い・教えに出遇い・本当の自分に出遇う場であります。現代社会は何事にもスピードが求められますが、時には立ち止まり、お寺でゆっくりと過ごしてみませんか?

心の安らぎと生きる喜びに出遇える寺として、皆さまとのご縁を心よりお待ちしております。

プロフィール
  • 1967年生まれ
  • 1977年 東本願寺にて得度(9歳)
  • 1996年 本光寺住職就任(28歳)
  • 大谷大学大学院修士課程修了(仏教学専攻)
  • 資格:終活カウンセラー1級

本光寺の由緒

天台宗時代の本尊である聖観世音菩薩(稲前神社の本地仏)
稲前神社由緒(明治4年 明治政府へ提出)

本光寺の歴史は、近江国(滋賀県)浅井郡の豪族であった木津三右衛門慰が康保2年(965年)、慈惠大師(比叡山延暦寺の中興の祖・木津一族出身)の直弟子となって證惠法印と名のり、天元3年(980年)に岡崎城大手門前に天台宗の寺院として創建したことに始まります。

稲前神社由緒(明治4年 明治政府へ提出)

歴代住職は、岡崎最古の神社として知られる稲前神社の別当職を務め、500石の領地に七堂伽藍の寺と神社が隣接して建てられていました。当寺の山号「稲前神領山(略して神領山)」は、これに由来します。

稲前神社跡地(左端に見える石柱が唯一のなごり)
蓮如上人の御文(本願寺9代 実如上人判)

その後、天正18年(1590年)に始まる岡崎城の拡張計画により領地の立ち退きを余儀なくされ、慶長6年(1601年)、上青野町へ寺基を移しました。共に移転して寺の北側に建てられた稲前神社は明治維新まで本光寺により管理されてきましたが、後に榊宮神明宮と合併され、社殿の跡地は児童遊園地となっています。

蓮如上人の御文(本願寺9代 実如上人判)

応仁2年(1468年)、14代教圓は三河土呂(現福岡町)の本宗寺において本願寺8代蓮如上人の導きを受けて弟子となり、上人より法名「教順」を授かり天台宗から真宗へと転じました。

岡崎市の本光寺の山門内部に安置されている釈迦三尊像

江戸幕府老中をつとめた岡崎藩主水野和泉守の寄進によって元禄年間に建立された山門は、当時一般の真宗寺院では許可されなかった楼門(二階建ての門)であり、その後文政10年に岡崎藩主本多忠考により再建されました。楼上には今も、水野和泉守より寄進された真宗独自の釈迦三尊像が安置されています。山門は国登録有形文化財と岡崎市景観重要建造物に指定されています。

岡崎市の本光寺 本堂再建の入仏法要(大正2年3月18日)
岡崎市の本光寺 本堂内陣

明治27年に本堂・庫裏が全焼した後、大正2年に再建された本堂は東本願寺の影響を強く受け、普通は2本の向拝柱を格式高い4本とし、派手やかな柱上の組み物や木鼻の彫刻、欅の丸柱の多用、高い格天井、欄間の見事な彫刻、内陣上部の贅を尽くした工作などに特色があり、近代における真宗寺院の代表的な建造物として、山門と同じく国登録有形文化財と岡崎市景観重要建造物に指定されています。

岡崎市の本光寺 本堂・山門修復落慶法要
岡崎市の本光寺で行われた蓮如上人500回御遠忌法要
岡崎市の本光寺で行われた親鸞聖人750回御遠忌法要
岡崎市の本光寺で行われた親鸞聖人750回御遠忌法要

平成31年から令和2年にかけて、門信徒の懇念により本堂並びに山門の大修復がなされ、令和4年5月4日、5日の2日間にわたり本堂・山門修復落慶法要並びに親鸞聖人750回御遠忌法要・蓮如上人500回御遠忌法要が厳修されました。開創以来1000年余の歴史を紡いできた古寺として、今に法灯を伝えています。

寺院情報

本光寺

本尊 阿弥陀如来
宗旨 浄土真宗
宗派 真宗大谷派
宗祖 親鸞聖人
本山 真宗本廟
(京都市:東本願寺)

歴代住職

開基 證惠
2代 惠源
3代 源甫
4代 源覺
5代 覺貞
6代 源秀
7代 源誓
8代 誓祐
9代 誓明
10代 誓觀
11代 誓心
12代 觀祐
13代 觀山
14代 教順
15代 教念
16代 教圓
17代 教心
18代 教智
19代 順念
20代 順道
21代 教信
22代 教惠
23代 圓空
24代 教空
25代 惠空
26代 惠暁
27代 惠雲
28代 惠海
29代 惠明
30代 惠遵
31代 惠住
32代 惠月
33代 惠暢
34代 惠秀
35代 惠言
36代 惠文
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